「シリコンバレーの会社における『優秀さ』の定義は何か、坂本さんや須藤さんが30年近く、シリコンバレーで仕事をしてきた中でどう変わってきたのか、それとも不変なのか」

「『優秀さ』をどう評価するのか、その手段や手法はシリコンバレーでも会社の規模やカルチャーによって違うのか」

こういう質問をHuman Capital Onlineの原田編集長から私と前回記事『米グーグルで9年働いた「大阪のおばちゃん」から人事の工夫を聞く』に登場した須藤由紀子さん宛てにいただきました。

私は30年間、シリコンバレーで3社のスタートアップのCEOを務め、採用、報酬と職務に関する交渉、そして評価を人事担当者と一緒にやりました。須藤さんは大学を含めるとほぼ30年間、米国にいて、IT(情報技術)関連の5社で働きました。最後の9年間は米グーグルに在籍し、テクニカルライティングやプログラムマネジャーをされました。

マネジメント側、現場のプロフェッショナル側の両面から原田編集長の質問を受けて考えてみようと思います。

日本のビジネスパーソンは人を評価する能力が低い

原田:今回質問したいと思ったのは、たまたまある勉強会に出たところ、日本の会社では社員の「優秀さ」の定義が変わってきているのではないか、優秀な社員をどう見つけ、どう育成したらよいのか、というテーマが取り上げられていたからです。

坂本:日本でもいよいよ人の評価について真剣に見直そう、という取り組みですね。結構なことだと思います。どういう問題意識からそうした検討を始められたのでしょうか。

原田:世界もビジネスもその変化がさらに加速しています。これまで優秀だと思っていた社員がそうでもなく、本当に価値を生む社員が埋もれているのではないか、ということですね。

坂本:なるほど。私はこの連載対談で「世界の会社は優秀な社員を採用することと、その社員が目の色を変えて仕事に熱中できるようにすることで競っている。日本の会社と人事部門もこの人事競争に本気で参加しよう」と繰り返しお伝えしています。「優秀さ」を巡る議論が目の色を変えて仕事に取り組む社員を増やすことにつながるとよいですね。

ご質問への直接の答えにはなりませんが私の問題意識をまずお話します。日本の会社は経営陣を含むマネジメント層が弱い。とりわけ、マネジメントの重要な活動である人の評価がお粗末すぎる。そもそも人を評価する能力が低い。

私が仕事をしてきた領域はIT関連です。世界初のハードウエアやソフトウエア製品を開発して販売することに取り組みました。技術レベルで比べると日本の技術者は優秀です。シリコンバレーで働いている日本人は例外なく現地のトップクラスです。

一般社員が優秀なのに日本のIT産業が今の体たらくであるのは経営者や管理職に問題があると言わざるを得ません。日本に戻ってIT産業以外の会社に接する機会が増えましたが残念ながら他も似たり寄ったりです。

原田:前回の記事(こちらから)で坂本さんが「日本のエンジニアは謙虚というか、自分の力を過小評価しがち」と言っていたくだりは印象的でした。現場は優秀なのになぜ経営者や管理職が弱いのでしょう。

坂本:人の評価に絞って言いますと、あまりにも意識が低い。というか社員を評価する能力が身に付いていない。米国ではマネジメント層でも現場でも、もちろん本人も常に人を評価しています。自分の評価、同僚の評価、上司の評価を考える。これはもう習慣になっています。

日本にはそういう習慣がない。人を評価する経験があまりにも足りない。そういう人が上司になり、経営者になっていくからマネジメントが弱いままなのです。優秀さの話に入ると、いくら優秀な人がいてもレベルの低い上司の下に置かれたら評価されないわけです。「本当に価値を生む社員が埋もれている」という指摘通りになってしまうのでしょう。

インド工科大学(Indian Institutes of Technology;IIT)出身の人材がもてはやされていますが、IIT卒にひけをとらない優秀な一般社員は日本にゴロゴロしています、その人たちを腐らしている。あまりにももったいない話です。優秀とは何かを考えたり、評価手法を用意したりするのはよいのですが、優秀かどうかを評価する力がそもそもない現状をなんとかしないと空回りしかねません。

 

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